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AudioとFishingと旅,つれづれ
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  • 直熱3極管の音はどんなだろう?
  • WE古典管の音はどんなだろう?
  • WE風の古典的なダブルpp回路の音はどんなだろう?

ラ技誌に掲載される新氏の製作記事を読むたびに,だんだん上のような期待が膨らんできて,とうとうWE101Dppアンプを作ってしまった.数年前のことである.いずれは作ろうと,東京に出張するたびにWE101系の球を少しずつであるが買い集めていたのである.


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で,出力管はWE101D,出力は1.5W位欲しいし,球にあまり無理をかけたくないのでppにする.ダブルpp構成で,初段のインプットトランスで位相反転することに.ドライバー管には6SN7,いずれは5692の赤ベースにと思っている.せっかくWE古典球をつかうのだからOPTも一捻りしたいと思い,思案していたところ,アンディクスの石井さんが,“こんなのも作れるよ~”と紹介してくれたのが,オリジナルOPTのパーマロイ版.値段は覚えていないが,格安だった.ついでにPTも作ってもらった.またそのころ,札幌のウェスタンサウンド・アネックスでWEの小さなチョーク・トランス(2HDCR=170Ω)を見つけて2個購入.これは各チャンネルOPT1次側のセンターに1つずつ直列に入れることにした.B電源 -> CH-> OPTのセンター(B+)という具合.これで交流バランスを改善しようというわけ.インプットトランスは,はじめはアンディクスにあった小さな黒い塗装の軍用トランスを使ったのだが,fレンジが狭くて気に食わず,同じサイズで手持ちだったUTCH5(115k295k)に変更して現在に至る.

101Dのソケットも自作したが,出来はいまひとつかな.電源SWは回転タイプ,ランプは6.3V点火の電球タイプで青いカバーの昔懐かしタイプ.SP出力はWE755Aもつなぎたいので4Ωと8Ωとした.

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もう手放してしまったのだが,現在のメインSPの前はエレボイのアリストクラットに30cmコアキシャル・ユニットを載せて使っていた.このアリストクラットは,オーディオを通じて知り合いになった方が,アメリカで買い付けたビンテージ・オーディオ製品をコンテナで日本に運ぶときに誘ってもらい,同氏の紹介で購入,一緒のコンテナにいれてもらったもの.

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      正面から          上から

ちょっとめずらしい仕上げ色のもので,程度はそこそこ.木はカラカラに乾ききっていて,“やっぱアメリカだ~“なんて思ったものだ.前面バッフルの外縁の桟木を止めてある木ネジ数本をはずし,組み合わせてある桟木を分解すると,バッフルをとめてある木ネジが現れる.これを外してバッフルをあけると内部が現れる.バッフルは3way用の穴が開いていて,これを裏側から板をあてて塞いであった.内部にはグラスウールではない吸音材が貼ってあった.面白いことに,どちらのエンクロージャにも側板上部に幅1cm,縦2cmくらいの楕円形の穴があいている.SPのバックキャビティ部分の気密性は関係ないのだろうか?気になったので,ここを消しゴムで塞いだりしたが,音の違いはわからなかった.板の突合せ部分の精度はあまり良いとは言えなくて,”やっぱアメリカだ~”.

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って言ってもたいていの人は???,反応するのはシベリア鉄道ファン,シベリアの石油開発関係者,商社のシベリア担当の人,シベリア冒険ライダー,とまあこんなところだろう.その,たいていの人には???なウスチ・クトに行ってきた.何しにってのは仕事なのでここでは省略.

 ここはシベリア鉄道とBAM鉄道がつながるところ,さらには鉄道で運んできた貨物を船に積み替え,レナ川を使ってサハ共和国やその北極海沿岸まで輸送する出発点.東シベリアの油田開発のこれまた出発点,なんでも出発点なところである.Ustってのは河口のことで,Kut川の河口っていう意味なんだそうだ.近くで有名なところというと,バイカル湖とイルクーツク.だけど,イルクーツクまで車で行くと1,000km走ることになる(楽ではなかった).

 2007年にはじめてウスチ・クトに行くことになったのだが,なかなか情報が手に入らない.まずはホテルがあるかどうか?ずいぶん前に鉄道旅行した人が書いているwebサイトでは,ホテルがなくてどっかの保養所みたいなところになんとか泊めてもらったとか.だが現地から紹介されたのと,ヤンデックスで検索した情報で,LENA Hotelが営業しているらしいことがわかった.仲良しの旅行代理店Fさんに頼むと,なんと予約ができた.ま,Trip Advisorなんかでもreviewが出ているようだし大丈夫!とふんでの出発だった.

どうやって行くか?,こいつも難題だが,ここはひとつ州都イルクーツクから飛行機で.だって現地からの話でちゃんと飛んでいるって聞いたので.ところが,エアライン名はわからないわ,空港コードがIATAでは見つからない(空港はGoogle Earthで見つかる)わ,飛んでるかどうかもなかなか判明しない.でもどうにか予約ができた,ただし発券は現地である.


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イルクーツク空港            鉄道駅            ホテルあった!

ついでに書いとくけど,ロシアでこういうところに行くときは気をつけなくてはならない.ビザ申請書には訪問地を全部書くわけだが,訪問目的やだれに身元保証をうけるかなどなど,注意と準備,根回しが必要なのである.でないと,ビザが出なかったり,現地で警察に干渉されたり,出国時に捕まったり,いろいろ問題がおきるのだ.実際,われらの前年にウスチ・クトに行った某グループ(日本人)は出国時に,訪問目的外の行動をとったとかで,タイホ,カメラ等没収と相成ったそうである.観光ビザで行ったらしい.で,この手のところってのは,駅・港・空港そのもの,それに軍事基地があったり,入域許可が必要だったり,油田だのなんだのがあったりするところである.
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ベッドもTVもあるけどそれだけでもある     トイレとシャワー

そんなこんなではあったが10月初旬の朝,われらが飛行機アントノフ君は,とうとう秋のイルクーツク空港を離陸した.眼下は,紅葉のはじまったタイガの原生林がどこまでも.1時間20分のフライトで機はウスチ・クトに無事到着したのであった.頼んでおいた車もちゃんと空港に迎えに来ており,ここまではとんとん拍子で旅が進んだ(ここまでは).ちなみに車は路線バスをそのままチャーターした格好.ドライバーのジイチャンがいい味で,人好きのする典型的なロシアの田舎の人(んでこのジイチャンも最後の顛末にからむのである).お,それとホテルも鉄道駅のすぐ向かいにちゃんとあって, 部屋もひとつ足りないけど(笑)確保されていた.

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カムチャツカ半島と聞いて思い浮かべること,火山・温泉,サケ類(大西洋サケ以外のすべてのサケがいる.ほかにもマス類たくさん),ヒグマ(こいつに襲われて星野道夫さんが亡くなった),船上で食べたウニ,そして温泉プールでの大酒宴.まずはウニから.

2003年の7月後半にペトロパブロフスク・カムチャツキーを訪問し,船で港や海岸・湾内の様子を視察したときのことである.

ptr_nature_rock4_27.JPG

チャータ
ーした船にのると,すでにキャビンには長いテーブルがしつらえられ,その上にはたくさんのオードブルとウォッカグラスが並べられていた.とにかく港を一通り視察した後は,件のごとくウォッカで国際親善と相成った.杯が交わされ,頭上を飛び交うエトピリカの群れを見上げながら,船は沖にむかって走り,ずいぶんと沖合で泊まった.
ptr_nature_dive2_27.JPGptr_fish_urchin4_27.JPG



するとほどなく船長の子分が潜水服に着替え,海中へとエントリーした.10分位であがってきた背中には,バフンウニ満載の大きな袋が・・・.船上でウニを割って,ウォッカでウニを流し込むのか,,,ウニでウォッカを流し込んだのか酒宴は続いた.いや~,チャーター料にウォッカ代とウニ代も含まれていたか~.味の方は?って,実入りはたいしたこと無かったように記憶するが,写真をみるとそうでもない.

それにしてもカムチャツカの景色のきれいだったこと.空気が澄んでいて,どこまでも遠くが見える感じ,そう,ハイビジョンTVを連想した.

 わが日本隊はこのあと,午後より山の保養地にある温泉プールに招待され,午前の疲れを癒した後,夜の大バーベキュー大会に突入,帰りのバスでは意識が,,,,.翌日は轟沈か?と心配したが,小沈程度で済んで良かった.(よいどれ宴会写真は,顔の処理をしてからに・・・)

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Altec405Aを寝室の本棚にセットしてみた.アンプはWE417pp,ソースは携帯CDプレーヤー.アンプに音量調節がないので,CDのヘッドホンジャックから入力を取り,CDのコントローラで音量調節する.かけてみたのがPink Floydの,電球たくさん背中にぶら下げたジャケ写真のやつ.バランスが高域によってしまうのを予想していたら,うれしい肩透かし.結構バランスが良くて,低域も良く出ている.おー,いい感じ!である.ふ~ん,本棚のバッフル効果がきいたか~と思いつつ数日たった.

で,これを書いていてはたと気づいたことがある.CDプレーヤーに低域増強補償がついていたような.“なんとかBass”なんていう名称で.これとバッフル効果がうまくかみ合ったみたい.

ちなみにアンプは,新さんがラ技に発表した単段ppをアレンジして,初段はWE396A1/2で増幅,UTCA19で位相反転しWE417Appをドライブ.UTCには,初めは396AのIpを流していたが,いま一つ音がはっきりしない感じがしたので、コンデンサでIpをカットし,パラに負荷抵抗をいれた.ただ,効果があったかよくわからないというのが本音.
OPTAltec70Vライン用のユニバーサル型(たしか新さんが45ppに使っていた).WE417Aには軽~くPG帰還をかけている.整流はWE412A.音のほうは,どうも明るさがない感じで,期待して作ったわりに気に入らず,お蔵入りしていたもの.だったけど,寝室セットで復活である.

今度は息子のお下がりのi-Pod Shuffle をつないでみようと思っている.

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2006年と2007年の冬(日本の標準では春)までに都合3回,南米のスリナム国に行ってきた.これでついに南米大陸にも上陸である.スリナムは南米大陸の北岸で,東がガイアナ,西はフランス領ギアナにはさまれ,南はアマゾン真っ只中,ブラジルと国境を接する.人口は45万人,首都はパラマリボ,面積は日本の約半分.

town_small.JPGP7140119_parbo.JPG


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世紀ごろ,USのニューヨークは昔オランダ人の入植地で“ニューアムステルダム”と呼ばれていたらしい(代わりに,パラマリボのスリナム川対岸にニューアムステルダム地区がある).で,17世紀にオランダがスリナムの地の領有権をイギリスと争った結果,オランダはニューアムステルダムをイギリスに渡す替わりに,南米のスリナムを手に入れたそうである.独立は1975年で,それまではオランダの植民地・自治領(1954)であった.独立後,幾度かクーデターがあったらしいが,今は落ちついている,,,と思う.

 この国の人種構成が面白い.植民地時代にアフリカから奴隷としてつれてこられたアフリカ系黒人,奴隷制廃止後に同じくオランダの植民地だったインドネシアからやってきた労働者,インドからやってきた労働者,もちろんオランダ人(白人の),世界中にいる中国人,先住民族である南米人(としか思いつかなかった.インディオっぽい人はあまり見なかったし,,)など,かなり特徴的で,多様である.宗教も,ヒンズー,イスラム,ローマ・カトリック,プロテスタント,まだまだたくさんである.

 

ヒンズー系  27

先住民系  4

クレオール系 18

中国系   2

マルーン系  15

白人    1

ジャワ系   15

日本人 10人くらい

 

 公用語はオランダ語,人種に合わせてヒンドゥーやジャワも.このほか地元語でタキタキってのがある.“こんにちは”は“ふぁあか!”,カタカナよりこっちのほうが近い感じ.パラマリボでは英語も広く通じる.

 スリナムに行くには,アムステルダムからの直行便,北米からトリニダード・トバゴ経由でパラマリボまでの航空便などがある.首都のパラマリボには世界遺産指定された歴史的な町並みの景観地区がある.これと内陸アマゾンのジャングルが観光の目玉.

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 Vancouverネタの3つめ.昨日は金曜,唯一,1日free(勝手)にした日.川の状態が悪くてFly Fishingに行けないので,ダウンタウン歩きにした.前半は,こちらに来ている友人と水族館に行き,昼にラーメンとギョウ12-07-08_vinyl.jpgザを食べて,午後便で帰国する彼と別れた.

 後半は,レコード屋を目的に街歩きした.で偶然見つけたのが“Classic Records”.でもここは名前の通り,クラシック専門であった.店内は広々としていて,整然と多数のCDが並べられている.LPはそのラックの足元に並べられているが,積極的に売ろうという感じはない.静かな店内に,ゆったりとクラシックがかけられていて,その音がなんとも緩やかで,でもしっかり焦点も合っている感じ.柱の高いところに据えてあるSPは,KEFの平板ウーハーが使われた3ウェイだったか4ウェイ.再生装置を見ておけばよかったと(今は)思っているが,その時は早々に退散した.Dunsmur st.の北向き側で,Richards st.あたりだったと思う.

次いで目的のVinyl Recordsを探す.


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雰囲気だね.

 

VancouverはGranville Islandの根元,1st Aveのつきあたりにポツンとある小屋.大賑わいのパブリック・マーケットから少しはずれた船着場の端にできている人だかりがフィッシュ・アンド・チップス屋のGo Fish.3人で,Cod*2&ChipsHalibut*2Salmon&Chipsを注文.出てきたのがこれ.秋田の曲げワッパもどきにフレンチフライてんこ盛り.Cod フライの大きさもアングリ.各ワッパに小さなカップに入ったコールスロー,タルタルソース,ケチャップなどがつく.ま,チップスの話はどうでもいいとして,魚の味は・・・

P7091687_gofish.JPGP7091689_chips.JPGCodは淡白のsquare,味がしない,,,けど,こんなもんでしょ.それに比べるとHalibutは本来の味が感じられ,こちらの勝ち.Salmonはさすが本場でお奨め,であった.ここで味がどうのと小うるさいことは言わないで,雰囲気を楽しめば良いでしょ.

かのケン・カイコー大兄によると,当地あたりのHalibut釣り(Game)では,大きなのが掛かると船べりで銃でズドンとやって大人しくしてから船にあげるとか.でないと大きな尾にたたかれて大変な目に遭うから.ってアラスカだったかな.北海道でも昔は畳並みのやつが捕れたと聞く.子供の頃はヒラメなんて雲の上,鮨・刺身の白身はこいつだった(北海道ではオヒョウと呼ぶ).

こいつ,実はどっちかというとカレイの仲間だったはず.目の付いているのも右(間違い御免).Codは身の大きさからして,マダラのたぐいか.鮮度のいい奴なら,Walleye Pollock(スケトウダラ)をフライにすると美味いんだよなー,こっちも捕れるはずだけど,卵は日本向け,身は全部飼料加工にでもなってるのか,はたまたすっかり資源が減ってしまってるので,あまりとれないのか.などなど思い浮かべながらも,晴天の下の船着場で食べると,開放的で楽しい.ちょっとここの空気は臭いけど,すぐに気にならなくなる.

 

チップスはって,全部食べられるわけないでしょ.

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