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変わった国の訪問記も.
そのギャラリーのスタッフ,やけに愛想がいい.あれやこれや話していると,自分の欲しいものはなさそうだが,Rizziの小品がお土産に丁度よさそうと思い,ついでだから自分用にもひとつ買うことに.そこまでは普通だったのだが,パッキングできるまで,奥でもう少し見ていけという.奥の方に入り込むとゆったりソファを勧められ,ウイスキーかブランデーを振舞われ,今度はRizzinの大物が出てきた.
“どうだ,いいだろう,これは好きだろう”,と畳み掛ける.
“うちは日本には三越だけに卸している.近いうちに大きな個展を日本でやる.これはそのときの目玉のひとつだが,今ならおまえに提供できる.”ときた.
学生たちは段々表情が固くなってくる.値段を聞くと,“これは$15,000だが,いまなら10,000でいい”などと来た.ああだこうだとやり合っていると,
“おお,社長が来た.”
が,程なくパッキングが終わり,社長,がんばってね~,と店を後にした.お土産用にはBoy and Girl だったかな,自分用にはBig Dog Big Cat.
(なお,私は大学教員ではない。)
久しぶりのロシアネタ.イルクーツクは大きな街で,繁華街はなかなかに賑やかである.その少しはずれ,殺風景な狭い小路を入って奥まったところに,イルクーツクで一番高い(と州政府のRさんが言っていた)レストランがある.その名も“京都“,ヤポンスキー・レストランである.1Fから5Fくらいまでを占める大きなレストランだ.しかし2007年夏に行った時は改装中で,なんでも秋には開業すると出ていたが,あの工事の様子じゃとても年内には終わりそうも無かった.案の定,秋に再訪したときもやっぱり工事中.しかし2008年1月に行った時には,1Fだけは開業していて,結構賑わっていた.で滞在の最後,3回の訪問のたびにすっかりお世話になったLさんらを招待して,さよならパーティーを開いた.
ロシアとしては結構な値段だったと記憶するが,料理に大外れはない.日本料理度はイルクーツク市内のヤポンスキー・レストランの中でも高位にある.ホールの女性スタッフは浴衣もどきを着用して例の雰囲気を出している.日本人には異国的だが,外国人には日本的なのだ.ロシア人はカツ丼が好きである.であるからして,ロシアのヤポンスキー・レストランの定番メニューはカツ丼である.このほか,焼き鳥,刺身,寿司,カレー!などなど.
ロシア,それもシベリアには,海がないに等しい.北極海に面してはいるが,そこにはほとんど人は住んでおらず,水産に利用できる環境にもない.なので,市民には海の魚は縁遠い.海の魚は遠くオホーツク海から,あまり感心できない貯蔵状態でシベリア鉄道にてわずかに送られてくるのみというのが実情.たいていのロシア人は,海の魚はよく知らないし,おいしくもないと思っている.なので,こんなところで刺身や寿司を出すのは大変だし,コストもかかるわけである.
資源バブルで活気づいている時期でもあったので,こんなシベリア真っ只中で,結構な数のヤポンスキー・レストランが開業していた.京都のほかに,ワサビが2軒,エド(これは2008年1月には閉店していた),名前を忘れたのが一つ(店員の衣装が黒の忍者風で刀を刺していた)などなど.クラスノヤルスクにも結構あったのだが,これは別稿で.
神戸は三宮,繁華街の一角にあるビルの地下階にその店がある.2年ごとに神戸で開かれる催しに初めて参加したときに見つけて以来,その催しで神戸に行くたび顔を出していた.物静かな高齢のマスターの柔らかな人当たりのおかげで,初めての訪問でもリラックスした時を過ごすことができた.フレンドリーな美人ママに進められつつ,おでんや水餃子などの家庭料理でお腹も満たされる.興がのると,自慢の喉でJazzを唄ってくれる.定期的にJazzライブがある.ママは,どうやら神戸のJazzの重鎮であるらしい.
阪神淡路大震災翌年の夏,三宮の街はまだ震災の爪痕が大きく残っていたものの,同じ場所を探すと,行灯が出ている。店は再開されていて安心したことを思い出す.聞けば,地震でビルは全壊となり,店内はめちゃくちゃ,天井は大きく下がってしまったという.それでもカウンターの板は壊れずに残ったそう.震災後,たくさんの人の励ましで,同所にて建て直しされたビルの,これまた同じ地階にて再開にこぎつけたという.たしか,現在のカウンターの板は,震災でも残ったものだったはず。しかし,再開後ほどなくして,マスターが亡くなったとの知らせがあった.店はその後もママががんばって続けていた,,,ここ3年行っていないけど,まだがんばっていて欲しい.
前回行ったとき,ママ達がCDを作ったと聞き,購入して帰ってきた.ザ・ビッグ・ディッパーズによるディキシーランドである.専属歌姫 石井順子(ママ)とある.
しばらく前,まだ札幌駅の北口界隈が雑然としていたころ,駅の真北正面150mあたり,ビルだかなんだかの北裏に2階建木造のボロ屋があった.1Fと2Fそれぞれに飲み屋が入っており,そのうち1階にはフツーのオジサンがガヤガヤのむ居酒屋,そのとなりには怪しいドアと“BBQくにむら“の看板.平成の初めに札幌に来た当初から気になる怪しい一角だった.そんな頃,1階の居酒屋に入る機会があって,となりのBBQの様子を外巻きにうかがったことがある.と言っても,窓もなにもなく,ドアの外側をチラ見するだけだったけど(笑).
ちょうどバブル時代で,そこかしこが地上げにあってSIM-Cityのように更地になっていくなか,ほどなくぽつねんとボロ屋が残ってしまって,せっかく路地裏,片隅にあったボロ屋が露呈してしまった.すわ,風前の灯か?!と思い,無くなる前に確かめようと“くにむら”のドアを開けてみた.その先には,ただ廊下が眼前に続いている.ますますイイ感じに怪しい.廊下を進み,突き当たりのドアを押すと,カウンターだけの小さなバーが現れた.電球の黄色い明りで薄暗く,床は木だったろうか.カウンターの奥から一体どんなおそろしい人物が射すくめるような視線を突き刺してくるか?,と思ったら,わりとフツーで(こんな店をやるのであるからそこそこには怪しい),同年代風の男が,クールで,少しシニカルで,いやしかし意外と飾らない親しみやすさも浮かべて佇んでいた.新宿ゴールデン街みたいだぁ,こんな店があったとは,,,,と感銘.何度か足を運ぶこととなった.しかしバブルだの再開発だのは,ついにこの北口文化の最後の砦を飲み込んでしまい, “くにむら”は移転・再出発をはかることとなる.
ところで大むかし(昭和後期)の北口界隈っていうと,タクシー代をケチってススキノから歩いて帰ってきた途中で,ええい朝まで飲んじまえ,とわずかの手持ちでぐだぐだできる店があったり,地元中高校生の親達は,子ども達に“北口界隈には近づいちゃだめよ”とくぎを刺すようなところであった.いま,JRは高架になり,冬に友人Kの車が滑って肝を冷やした陸橋はなくなり,すっかりきれいになってしまった.
で“くにむら”はその後,北12条界隈にて再出発をはたす.移転当初は会員制BARなる旨を掲げていたが,そのワケをきくと,“なんだか面倒くさいから“みたいなことを言っていた.が本心は,客筋が変わって店の雰囲気が変わらないように,当初は昔からの客で営業して,店の空気を再現・再興したい,ってことだろう.しばらくして,会員制の文字が店先から消えていた.店主の目論見はうまくいったようである.以前ほど怪しくなくて,女性でも入れるような店になったが...
いろいろうまくいかないことが重なって,なんとか気持ちとストレスを消散・霧散させたいときに,店の扉をあけることが多い.店主とワインを分け合いながら,とりとめの無い話しをあれこれして,普段の生活の立場や次元とは違ったところに身をおいて,無私というか,日常の自分から離れる機会を得たいのだと思う.旅がよく,自分発見の手段のように訳知り顔で語られるみたいだが,旅はその反対で,徹底的に無私にさらされること,砂粒の一つになれる機会であると思う.海外旅行はその典型かも.そうか,“くにむら”に海外旅行かぁ.
ところで“くにむら“の由来は”らむにく“とのことである.なんで,ラム肉はレギュラーメニューではある.
最近出た管球王国の特集で,CDプレーヤーとラインアンプの間にライントランスを入れて,音の聴き比べをやった記事がある。我が家でも,WEの111CやUTCのトランスを入れているのだが,あまり変化が感じられなくて,“まぁ,こんなもんか”程度に思っていた。しかし記事では,なんと1:1,600オーム:600オームのところをつなぎ換えて,1:2などにして使うと,結構変化があると書いてある。その手があったか,と,早速111Cをつなぎ換えてみた。ところで,本来1:1の111C,1次側をパラにするとインピーダンスは1/4の150オームになる。一方2次側は,ラインアンプの受けのVRがたしか100kΩだったはずなので,結果,相変わらずのハイインピーダンス受けである。これならDACの出力側もつらくないはず。そういえば111Cを600オーム受けで使うと,周波数レンジがかなり狭くなると聞く。その点でも,まぁ良いだろうと判断。
でやってみた結果,厳密に切り替え試聴したわけではないが,なんというか中高域でメリハリというか陰影というか,が増したように感じる。モノラルのサキソフォン・コロッサスを聞くと,中高域部分の音像が,何か前後に深くなったようにも感じる。つまり,今回のイタズラは“成功“というわけである。UTCのトランスもつなぎ換えて,比べてみようと考えている。
釧路の居酒屋といえば、炉端形式が有名。繁華街のそこかしこに“炉端“の看板が出ている。一応”炉端”ってのを整理すると、この字型のカウンターの中で、炭を起した炉があり、お婆ちゃんが、、、女将が、客の目の前で魚・肴を焼いて出す、という形式。
で、繁華街の一角、言葉のとおりの角にある古い民家の軒下に、小さな“炉ばた“という行灯が、薄暗く点いている店がある。店名”炉ばた“である。店内は低いカウンターがこの字になっていて、椅子は細長いベンチ形式。客が増えてくると、横に順につめていって間をあけて、そこに新客が入り込む。カウンターの中ではお婆ちゃんが座布団にすわって、肴を焼いている。釧路近海でとれた、サンマ、めんめ(キンキ、キチジのこと)、ししゃも、ほっけなどが焼かれ、油の焦げる香りが店内に漂い、鼻腔と口腔を刺激する。店を切り盛りするのは女性だけ(背後の厨房はどうか知らないが)。お婆ちゃん(女将?)に聴くと、なんでも炉端の名称はこの店から始まったとのこと。元祖である。いまのお婆ちゃんが3代目とか。天井の見事な黒つや、操業時からのもの?ってきくと、いやいや、毎日天井も拭いているそう。そうしないと、上から油がたれてくるそう(笑)、大変なのだ。
ここで出てくる肴が至高のものというわけではないが、良いものを良心的な値段で食べることができる。キンキはだいたい4千円くらい。なので管理人はキンキなんて頼んだことはない。が、観光旅行でここを訪れた客は、このときとばかり、“キンキ”もとい“めんめ”やうに丼などをおいしそうに食べている。アットホームな雰囲気で北海道の海の幸を堪能できるのだから、きっと良い思い出になっていることと思う。この日、連れて行ってあげたK君は、まず“キンキ“を頼んだ。北海道を離れてもう随分たっていたのだ。彼は、本当に美味そうに、(美味いのだから当然だが)、ぺろりとたいらげた。