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AudioとFishingと旅,つれづれ
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 インドネシアに入って2ヶ月が過ぎたころ、あちこちの島巡りも半ばを過ぎ、そろそろ体も現地仕様だなと思い始めたところで、ついにお腹をやられた。ビトゥンでのことである。もう大丈夫だろうと、現地スタッフと一緒にローカルの集まる人気レストラン(こっちにしてみるとワルンなのだが・・・)で夕食を食べた後、腹痛が始まった。翌日には腹痛は増し、かるく下痢も始まった。仕事があるので食べ・飲みを控えて、下痢についてはそう面倒にはならなかった。なにせ食べてないので。でその翌日は飛行機でジャカルタに移動。下痢はたいしたことはないのだが、相変わらず腹痛がひどく、立っているのも結構苦痛である。ジャカルタ着が昼過ぎだったので、午後に『たけのこ診療所』で診てもらった。このころには、腹痛とともに、上腹部が張ってポンッと太鼓腹のように。
 初老でポンポンとテンポよく話す医師の診断は、瞬断、“下痢です。脱水がひどいので点滴してあげます。これで楽になるから“。てなわけで点滴3本、約2時間でかなり楽に。抗生物質と下痢止め、塩分濃い目の電解液と塩味煎餅を処方された。塩分多めにしたスポーツドリンクやスープでないと体が水分を吸収できないこと、食べないと薬も飲めないので、おかゆ、塩煎餅などから始めることなどをアドバイスされた。大昔、昭和中期、下痢したら塩水を飲まされた覚えがある。あれは有効だったのだぁと述懐する。
 この下痢は結構しぶとくて、翌々日になっても腹痛と上腹部の張りがおさまらず、再度たけのこを訪れた。で、かの先生、”うちに下痢で来た人はたいてい1回でおさまるんだけどねぇ。また点滴しましょう。お中の張りと腹痛は、脱水のせいと、食べてないので胃腸が縮んでしまってるせいですから、食べ始めると徐々によくなるはず。抗生物質は違うのにしてみましょう。“ということに。前と同じ点滴を受けてもどり、その日の夜半に次の出張地に出発した。そのころにはかなり腹痛とお腹の張りもおさまり、行き先についてからは、どうやら普通に仕事ができるまでになった。やれやれ。その後2・3日は、ジャカルタで購入したポカリスウェット粉末をPETボトルのミネラル・ウォーターに溶かして持ち歩き、水分補給につとめた。
 思い出してみると、ローカル連中と夕食を食べに行く前に、すでに胃に不調を感じていたのだが、いつもの胃炎と思っていた。あの夕食のせいでだけはないだろう。ちなみに食べたのはイカン・バカール。インドネシアで食べたイカンバカールのなかで、1・2の美味さだった。調子に乗って生野菜などもたくさん食べたので、いろいろ重なって、パンッと一線を越えてしまったのだと思う。
 東南アジアなどに行くと、お腹のなかで働いてほしい細菌群が日本仕様とは違うので、これが現地適応バージョンになるまでの通過儀礼として下痢があるやに聴く。開高大先生が“オーパ“の冒険旅行の途中でメキシコに寄った際に、そんなことを書いていた。メキシコでは確か ”モクテスマの復讐“ と呼んでいるそうな。ま、とにかく直ってよかった。たけのこ診療所には助けられた。

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 ヌヌカンも島なのだが、その向かいにもっと大きなSebatik島がある。この島の上半分程度はマレーシアとなり、国境線が東西に通る。また島の下半分にあっても、海峡をはさんですぐ北にマレーシアが迫る。一方、ヌヌカンとの間もわずかで、小さな渡し船を使って20分程度で渡ることができる。渡し船は、ヌヌカンの街の中心部から車で20分くらいのところにある桟橋から出る。桟橋はお決まりの木造で、海に100mくらい突き出している。先端にチケット売り場があり、その界隈に渡し船が数隻泊まっていて、客、または荷物が集まると出航である。なので時刻表はいらない。立派なことに、チケット売り場では保険も売っている。この地でも買う人がいるらしい。
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 船には人のほか、この地の主要陸上交通手段であるバイクも乗る。バイクを載せるときは力仕事、3人くらいでわっせわっせと載せたり、降ろしたりするのである。あとはのんびり20分間、細波くらいしか立たない海面の向こうの島やら、こっちの島やらを眺めていると到着である。ところでこの船、前進のみの後退なしである。これで上手に木造桟橋に着けてくれる。そこまでは良いのだが、乗降時に桟橋側に何人もが乗ったときに、おぉっと言うくらいに随分傾いた。すかさず反対側に渡ってやると程なく復元したが、復元力はあまり良くない。
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 島の中はのんびりしている。農園というか畑というか・・・、とにかくそれらしいのが内陸の丘陵地に広がる。バナナ、パイナップル、あとは何だかわからないけど、とにかく農園・農場。その農家と思しき家は、高床式で結構立派である。小型の高床倉庫といった風情である。これに比べると漁業者の集落の住居はつつましい。が、この界隈の漁業者の多くがこの島に集まっているのである。でもって、島で食べた魚料理はなかなか美味で、ここまでのインドネシア滞在中で、高位ランクであった。
島の中にある国境にも行った。国境というと、何がしか目印だったり、地形が分かれるところに置かれることが多いが、丁度良いところがないと、エイッと直線を引いたりもする。で、見学したのは国境の川、昨夜の雨で増水しての幅数メートル。国境としての威厳は・・・普段はチトさびしいだろう。川のこっち側からマレーシア側を眺めながら、そこで売っていたライチを頬張った・・・丁度喉が渇いていたので、ことのほか美味だった。
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 タラカンからヌヌカンに入る方法は、フェリー、スピード・ボート(4時間かかるとか・・・)、トリガナ・エアー(30分)。ただし距離が100km程度あるので、海路は結構時間がかかる。フィリピンの話だけど、フェリーの事故は飛行機事故より頻繁に起きている。なんでトリガナ・エアー。
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いったいどんな機体に乗せられるか、昨日のお祈りが生きるときが来たか?、、、と思ったら、結構まともな機体で、大きさも日本のローカルで運航しているのと変わらない。で、きちんとヌヌカンに到着。
めでたしめでたし。
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ところでこの空港、夕方になるとサッカーチームが滑走路でトレーニングしていたり、近所の住民が散歩したりしている。朝方は、空港ビルの周りや滑走路を野犬が結構たくさんうろついている。さすがに飛行機が着陸前には追い払うだろうと思っていたが、その様子もナシ。おいおい、、、なのである。



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 イスラム教徒が機内でどうこうしたということではない。座席背面のポケットをあさると、機内誌は無いが、お祈りを書いたリーフレットが出てきた。ムスリム、ヒンディー、プロテスタント、カトリック、ブッディスト用にそれぞれお祈りの言葉が書かれていた。・・・といっても理解できたのは英語で書かれていたキリスト教ものだけだが。どれどれ、と覗いてみると、カトリックのが結構沁みた。(なんせカトリック系の高校出身だし・・・)。ちょっと転載:
 
In the name of the Father, the Son and the Holy Spirit. Amen. Long ago You save the children of Israel who crossed the sea with dry feet. And three wise kings from the East received Your command with the guidance of a star. We beg You. Bless us with the guidance from your angels, so that crew of this aircraft will lead us to our destination safely. We also hope that our family remain happy and peaceful until we land safely.
Blessed be Your name, now and forever. Amen. In the name of the Father, the Son and the Holy Spirit. Amen.
 
とまあこんな具合。先進国のwell organized エアラインならこんな気にはならないのだが、明らかにこの国のエアラインはリスクが高そうなんで。たしか昨年6月には、安全運航体制不備と評価されて、インドネシアの全エアラインがEUへの出入り禁止措置を受けたわけで・・・。それがどうにか、ガルーダなど4社が乗り入れ許可をもらったのが秋だったか・・・。お祈りが沁みるわけである。

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 ジャカルタからの移動にLION AIRを使うことになった。で、・・・
座席についた。特にどうということはなさそう・・・・・が、1時間もすると足が窮屈になってきた。そこでWebで見たレポートを思い出したのである。『このエアラインの機体は皆、恐ろしく足元が狭い!』というもの。良く見ると、座面と前のシートの直線距離は20cmを少しこえる程度しかない。これでは身長が180cmもあるような人は大変なことになるだろう。
これで1時間半くらい、まずはバリクパパンまで飛び、そのまま機内で40分程待って、タラカンまでまた1時間半くらい。16時発予定のフライトにて、都合約4時間のフライトを経て夜のタラカン到着。まあ軽食くらいは・・・と思っていたら、飲み物も何も出ない。バリクパパンで留まっているときに、後方からいい匂いがしてきたので、今度はやっと・・・と思ったのに・・・どうやらクルーだけが食事をとったらしい。
 
 ふん、最初から分かっていれば・・・と反省。食事サービス無しにする分、運賃を安くしてくれれば良いのは筋が通るな・・・。ジャカルタ・スカルノ・ハッタでスープとナシを食べといて良かった。
Lion Airに乗る前には、必ず食事と飲み物を用意するべし。足のストレッチをするべし。こんなところか。
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これまでに食べた魚達のなかから・・・
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 イヤン・バカンではない.イカンは魚,バカールは炭焼き・グリルすること.言葉で書いてしまうと,なんてことはない魚の焼き物である.なのに,かくもインドネシア人のソウルを鷲づかみにしている食べ物なのである.材料となる魚はサンゴ礁の海でとれた根魚が主体だが,養殖された淡水魚もある。大きなものは2枚に背開きにして(頭もしっかり2分割),それ以外はエラ・内臓を取ったあと丸のまま焼かれる.大抵は店の入り口や外で,大きな焼き網の上で,煙なんぞをいい匂いとともに盛大に出しながら焼いている.どうやらレストランではバカールの類はあまり無くて,ゴレン,つまり油揚げになることが多いようである.レストランで盛大な炭焼きはちと難しいのだろう.バカールは道端の屋台やワルン,あるいはもう少し上等なレストランと称するワルンで,炭と煙と肉や魚の焦げる匂いとともに調理され,食されるもののようだ.なるほど,ソウルフードっぽくなってきた.
 少し上級の店になると,道端から中が見通せなくなり,つまり壁があり,部屋の中で,まだ壊れるまでは相当の時間があるテーブルと椅子について食べる.また,店の入り口で冷蔵ボックスの中の魚を自分で選んで,焼くときのタレなんぞを注文してから席につくタイプの店などがある.とにかく,メインディッシュのイカン・バカールを頼むと,手洗いのお椀のほか,色々薬味が出てくる(サンバルソースのみのときもあるが).ナシ・プティ(ご飯)に飲み物と,野菜,たまにスープなどを頼んで,さあ!,と,いただくのである.
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 ひと月もたつと,ワルンなど地元の人達が普通に食べているところでは,拙者も手食べである.バカールが出てくると,それっ!と手とフォークで(このあたり,まだなりきっていないのだが)解体にかかり,取り出した身を薬味なんぞを混ぜながら,で,ご飯にぐちゃぐちゃ混ぜて口に放り込む.こんな按配なので,インドネシア人と一緒にこういうところで食事をすると,食べ始めると皆いっせいに無口になる,というか,しゃべる暇がなくなり,皆ひたすら皿の上のobjectと格闘するという按配になる.結構笑える.
 ところで,手で炭焼きの魚や鶏肉を食べると,油でベタベタになって気持ち悪いのではないか?,と初めは疑心暗鬼だった.が,蒸した当地のお米と一緒に混ぜて食べていると,不思議に手指はべたつかないし,あまり汚れもしない.お米がうまい具合に油や肉汁やタレやスープを吸って,いい具合になっているのではないかと思っている.それと,周りの人は絶対に左手を使わないのか・・・と覗いていると,そうでもないようだ.どうしても必要なときは,わりと普通に使っている.まぁ,右が主体だが.トイレ,進化してるからね...
 

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