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変わった国の訪問記も.
あの頃;
初めて半田ごてをもったのは小学校低学年.父が買ってくれたゲルマニウム・ラジオキットだったと思う.北海道の地方都市でも,まだラジオ屋があって,家電メーカーも真空管テレビを作っていた.工作や理科が好きだからと,国語教師の父が『子供の化学』を定期購読してくれたのがきっかけだった.
夏休みや冬休みになると,バルサ材で車や船の模型を作っていた.母方の叔父が電気・ボイラの技術者で,その家に行くと,山のようなパーツ,こだわりのオーディオ装置があって,夢中で叔父の自慢話を聞いたものだ.その影響もあって,わずかの小遣いと親や祖父からもらうお年玉をためては,電子部品を買いためて,並三,高1中2なんてのを作った.この頃,通信教育で真空管講座みたいなのがあって,親に頼んで受講させてもらって,初歩的な理論をそこそこ勉強した.
そうこうしているうちに,今度は6AR4のシングルでアンプなるものを作った.当時は,1年,2年計画で小遣いをためての製作プロジェクト.あとはあちこちから拾ってくるジャンクを使って,なにやら作っていた.学校の休み時間に,次の製作の計画をノートに書き込んだりする,ちょっと変わった子供だったな.でも楽しかった.
中学に入って,小遣いも年玉も少しは増え,ついにNECの6BQ5HiFi ペアでステレオ・シングルを作った.ソースは卓上型のアイドラー・ドライブ,クリスタル・カートリッジのレコード・プレーヤ・・・(父がわけのわからない漢詩のソノシートをTVにつないで聞くのに使っていたもの)から入力をとっていた.スピーカは,捨てられていたテレビから外してきた楕円スピーカを25cm角くらいの箱や,みかん箱に紙で目張りをした代物に入れていた.吸音材は,捨てられていた冷蔵庫の中に入っている断熱材(グラスウールだった).これは,捨てられた電化製品はなんでも分解してみる性向のおかげで発見した.アンプも,箱も,あちこち弄っては一喜一憂していた.なんだ,今とさっぱり変わっていない.
レコードなんて家に無かったので,友達から借りて聴いていた.その友達が洋楽ファンだったこともあって,洋楽ファンになったような気がする.とにかく,夢中でラジオの音楽番組や深夜番組を聴きあさった.毎日夕方に放送されていた”ダイリク”,糸井五郎ゴーズオン,オールナイト日本,あっ,音楽じゃないけど”欽ちゃんのどんといこう”なんてのにもはまったなぁ.
中学に入ると,パイオニアが出していた6.5インチフルレンジので,メカニカル2ウェイ構造のPIM16Aというユニットのキットを購入(完成品より安かったので).本当は名作PE16が欲しかったけど,そこまでお金が揃わなかった(100円か200円程度の差なんだけど).このころの愛読書は初歩のラジオ,無線と実験,ラジオ技術,電波技術.よくそんなに色々買えたものだと思う.とにかく小遣いはそれに消えたはず.
このころ,裕福な友達はメーカー製のアンプやSPなどを保有し,私的には垂涎の的であった.街のオーディオ店に行っては,メーカーのカタログを集めて見入ったりしていた.
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